
リコーICT研究所(澤口)/ Smart Vision事業本部(庄原)
澤口 聡 / 庄原 誠
まったくのゼロからのスタート。困難の連続だった。
2013年9月、360°の撮影を可能にしたコンシューマー向け全天球カメラRICOH THETAは華々しいデビューを飾った。当日、世界中から記者が集まり、発表日のホームページのアクセスは十数万件にも及んだ。その後も数々の賞を受賞し、RICOH THETAは第二世代へと進化を遂げていくことになる。しかし、その開発や進化の裏にはさまざまな技術者の想いやドラマが詰まっていた。初代RICOH THETAの開発から遡ること3年。「初めて話を持ちかけられたときは、正直『できるわけない』と思いました。当時、全天球は産業用の製品しか流通しておらず、サイズも極めて大きく、とてもコンシューマー向けと呼べるようなものではありませんでした」。そう語るのは、プロジェクトマネージャーを務めた澤口である。このRICOH THETAプロジェクトは、"デジカメ領域以外でリコーの新しい成長領域をつくる"という会社としての大きな使命を背負い始まった。だが、立ち上げから苦労の連続。開発ノウハウの蓄積もない。「全天球をコンシューマー向けに」という上層部からのオーダーのみで、ニーズや使用されるシーンも不明。ゼロから全ての物事を築いていくことが求められた。「ただ、メンバーには恵まれました」と澤口。約10名の精鋭たちはリコー内でも特に際立った人間が社内公募で集められ、全天球のために採用された尖った技術者もいた。そして、そこから彼らの試行錯誤は1年間ほど繰り返される。「全天球カメラをつくっては、街に出かけていました。どんなふうに映るのか、どういう用途で使うと面白いのか。『世界最小サイズにしよう』『一瞬で撮れることにこだわろう』などアイデアがどんどん広がっていきました」。挑戦と失敗のなかで生まれたコンセプトは、全天球360°を手軽に写し撮れる超小型カメラ。こだわったのはポケットサイズだった。「技術的に困難であることは明白でしたが、一切の妥協を許すわけにはいかなかったのです」。メンバーが試作品を作っては、澤口がダメ出し。幾度となくぶつかる技術の壁。しかし、その壁をわずかずつ越えながら10cmだった厚さは6cmになり、2cm程度まで薄くすることに成功した。量産性やコスト面の懸念は残ったが、それを度外視できるほどの技術的なブレイクスルーを起こしたのだ。「2㎝の厚みを実現するテクノロジーを生み出したのは、佐藤という若手社員です。彼の執念深さには本当に助けられました」。社員たちのエネルギーが不可能を可能に変えていった。だがそれでも、RICOH THETAの誕生までには未だ多くの課題があった。

誰一人あきらめない姿勢が、世界初の製品を生んだ。
「ニーズがない」。マーケティング担当からの突然の一言。チームには迷いが生まれ、プロジェクトの中止が目の前に迫っていたと澤口は話す。「当時はさまざまなエンドユーザーを中心に需要の調査をしたが、ターゲットを明確にできていなかったのです。結果はあまり喜ばしいものではなかった」。それでもメンバーは諦めなかった。「プロトタイプの出来が良かったこともあり、私は『クリエイティブな人にはちゃんとニーズがある』とメンバーに言い続けていました」。ターゲットの再設定を行い、社長への答申。それが功を奏し、ついに大量生産の予算を獲得したのだ。テクノロジー企業との契約締結もニーズを証明するための追い風に。チームは息を吹き返し、大きく巻き返していくことになる。資金という翼を得て、いよいよ製品化に乗り出した。しかし、全天球カメラは繊細な技術が用いられているため、試作品をつくれば50個も100個も課題が溢れ出てくるような状況。「問題が報告されるたびに『つぶせ!つぶせ!』と躍起になって解決していきました」。そして2013年9月、初代RICOH THETAが発売される。「世界初の製品を生み出せたことはもちろん、仲間たちと一緒に達成感を味わえたことがなによりも嬉しかったです。メンバーのことは同僚というより戦友と呼ぶ方が近い気がしています」。発売後は第17回光学設計奨励賞など数々の賞を獲得。社内でも世界一商品賞に選ばれるなど、反響は大きかった。「喜ばしいことに他社からの期待も大きく、各方面から多くのコラボレーションの依頼が舞い込みました」。しかしその一方で、発売直後から市場では全天体カメラに面白さを感じる人、画質に満足していない人など、賛否両論だった。

市場の意見とチームの情熱で進化し続ける製品を。
初代機では「さまざまな不満の声もあがってくることは、覚悟していました」と語るのは、第二世代のRICOH THETA Sで画質リーダーを務め、さらにそれを4K動画対応へと進化させたRICOH THETA Vでは開発テーマリーダーを務めた庄原。このプロジェクトのスタートから開発を支え、初代では主に画像処理や画質を担保するための生産技術を担当していたリコー屈指の技術者だ。「第二世代では高画質化が最大の課題でした。初代の画質をどう改善するのか。設計思想自体を疑うところから議論を行いました」。そして、庄原たちはRICOH THETA Sでは、光を反射・屈折させるためのレンズ・プリズムと光を集光して信号に変換する撮像素子(CMOS) の組み合わせである光学ユニットを新たにすることを決める。「幾度にも及ぶ議論の末に決断したものの、実際に画質を確認するまでは正直、心配でした」と庄原は語るが、結果、画質処理は改善し、リアルな描写が可能になった。それでもまだユーザーからは「なんで4K動画対応にしないのか」という声がプロジェクトチームのもとに届く。「当時は、再生環境の普及状況などから判断すると、4K動画に対応するには時期が早い。THETAはスマートフォンにつなげて映像を見ることが多いのですが、肝心のスマートフォンが十分に対応していませんでしたからね」。それでもメンバーの誰一人、決して現状のRICOH THETA Sで満足しきっているわけではなかった。その後、4K動画に対応するためのチームが庄原を中心に再結集される。「今度は光学系ではなく、システムを一新する必要がありました。国内外の開発者からなる多拠点多国籍チームを結成し,再び試行錯誤する日々がスタート。新システムではAndroidを採用し、高画質な独自カメラが搭載された新しいスマートフォンを丸ごと開発するようなものでした」。ソフトウェアを一新させながらも、これまでのRICOH THETAの機能も同様に作動させなければならない。この新旧の合体は想像以上の困難を極めた。加えて、多国籍チームでは、開発で用いる公用語も英語になり、こうした新しい開発環境もメンバーに目に見えない重圧を与えた。「それでも…」と庄原は語る。「RICOH THETAは常に進化し続ける存在でなければならないんです。これまで積み上げてきたものの重みを感じながら、新しい変化を恐れてはいけない。全天球カメラという新しい市場を開拓した私たちだからこそ、市場の意見に敏感に耳を傾けながら、自分たちのアイデアももっと加え、誰も見たことのない全天球カメラを開発していきたい」。初代のプロジェクトマネージャーを務めた澤口の熱い情熱は、第二世代以降を牽引するリーダー庄原へと着実に引き継がれていた。※内容、部署は取材当時のものです。