リコーフューチャーズBU
稲葉 章朗 / 曲澤 学 / 田中 美帆
かつて、日本は世界を席巻していた。自動車、家電、船舶など、「ものづくり」を武器に、さまざまな日本企業が世界の時価総額ランキング上位に食い込んでいた時代があった。しかし、時代は変わった。現在、世界経済をけん引するのは、「GAFA」や「BAT」と呼ばれるIT業界の大手プラットフォーマーである(※)。彼らは自社にデータを集約し、機械学習やパーソナライズ化を一つのキーワードとしながら事業を次々と拡大。いまや世界中の生活者にとって欠かせないサービスへと発展し、ビジネス成長を続けている。
そんなビジネスモデルにいち早く注目し、ハードとソフト、の両輪で挑んでいるのが、360度カメラの「RICOH THETA(リコー・シータ)」とクラウドサービスの「RICOH360」である。
コロナ禍によって飛躍的な事業成長を遂げた「RICOH THETA」と「RICOH360」は、今後世界で多くのユーザーに愛用される、日本を代表するプラットフォームサービスを目指す。今回、本プロジェクトに携わった事業責任者と開発担当者、マーケティング担当者の3名にインタビューを実施。サービスへの想いや開発時の苦労、今後の展望を語ってもらった。
※「GAFA」はアメリカIT企業のグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンを指す用語。そこにマイクロソフトを加えた「GAFAM」と呼ばれる場合もある。「BAT」は中国のIT企業のバイドゥ、アリババ、テンセントを指す。
世界初の360度カメラ「RICOH THETA」に見出した成長の活路
Q:クラウドサービス「RICOH360」は、360度カメラ「RICOH THETA」のビジネス利用を促すものです。まずはどのような製品・サービスなのかお聞かせください。
曲澤:「RICOH THETA」から説明すると、これは360度画像・動画をワンショットで撮影できる世界初の小型カメラです。機能の拡張性に優れており、プラグインをインストールすれば、人の顔にぼかしを入れたり、実世界を舞台にしたゲームをつくれたりと、さまざまなかたちで活用できます。
そのような「RICOH THETA」のポテンシャルをさらに解放する鍵となるのが「RICOH360」というクラウドサービスです。このサービスを使えば、撮影したデータの管理・共有やカメラの遠隔管理が可能になり、さらにAPI連携で欲しい機能を追加することもできます。
稲葉:補足すると、ハードだけでなく、「RICOH360」というソフトウェアの部分まで一体となったサービスを提供している点が私たちの事業の特徴になります。
Q:カメラはどんな業界で使われているのでしょうか?
田中:現在は不動産や建設業界での利用が中心です。なかでも不動産業界の利用は、コロナ禍をきっかけに800%増と一気に拡大しました。「RICOH THETA」を2013年9月に発売した当初は、一般消費者のユーザーが多かったのですが、現在は360度画像のワンショット撮影が業務効率化につながることから、ビジネスシーンでの利用が増加しています。
また、国内だけでなく、海外でもサービスを展開しており、全世界に「RICOH THETA」と「RICOH360」を利用しているお客さまがいらっしゃいます。
目標は「GAFA」。ものづくりの技術を活かしたプラットフォーマーに
Q:コピー機など数々のハードを扱ってきたリコーが、カメラだけでなくソフトウェアも手がける理由を教えてください。
稲葉:GAFAなどのプラットフォーマーのように、リコーとしても日本のこれからの産業を支える、日本発のプラットフォームをつくっていきたいという構想があるからです。この事業の鍵は、全世界で撮影された画像や動画のデータをプラットフォームに集約できることにあります。
Amazonが顧客の購買データをもとにパーソナライズ化された買い物体験の実現に挑戦しているように、データがあれば、それを活用した新しいサービスや機能の実現も可能です。実際、このプロジェクトでは日本だけで毎日50万枚以上の撮影データが蓄積されており、それらをもとに機能開発を行なって、AIによる画像補正機能や画像内の物体の三次元測定機能などを追加してきました。
ハードとソフトウェアの両方を同時に手がけられるのは、メーカーとして技術力を持ち、安定した経営基盤のあるリコーならでは。それゆえに、クラウドサービスもセットで提供している360度カメラは、世界を見ても競合がいないのです。
Q:そのようなプラットフォーム構想は、いつごろ生まれたものなのですか?
稲葉:2015年ごろです。私の前のSmart Vision事業センターの元所長や、リコーでCTOのような役割を果たしていた方など、私にとって偉大な先輩方が過去の失敗や悔しい想いをした経験をもとにこの構想を描き出しました。
リコーはこれまで、光学のコア技術をもとに、さまざまなハードを手がけてきました。たとえば、リコーはその昔、光ディスクという記憶媒体を開発・製造していたのですね。市場のなかでも勢いのあった事業でしたが、ある時期から、製造コストの安い中国に一瞬で負けてしまったんです。
ほかにもオンライン会議用のデバイスも手がけていましたが、こちらも海外企業には勝つことができませんでした。これからの時代はハードの製造だけでは世界に太刀打ちできないと痛感したんです。だからこそ、GAFAのようにデータを集約できるプラットフォームの構築を目指す必要があると学んだのです。
IT企業の聖地で学ぶ機会や、スタートアップとの協力体制を拡充
Q:事業が順調に拡大しているポイントはなんでしょうか?
稲葉:2019年に世界展開をスタートさせたのですが、そこが事業拡大の転機でした。世界への攻勢に転じることができたのも、最先端のIT企業が集まるアメリカ・シリコンバレーの視察なども含めて、世界進出を見据えた準備を着実に進めてきたからこそ。とくにシリコンバレーでは、曲澤などの一部メンバーがソフトウェアの構成や開発手法などを学んできてくれました。そこで得た知見を「RICOH360」の開発に活かしています。
曲澤:シリコンバレーには3か月ほど滞在しましたが、先進技術などたくさんのことを学ぶことができました。とくに大きかったのが、現地の開発スタイルやシステムへの考え方に触れられたことです。アメリカでは、あれこれじっくり考え抜いて開発するよりも、いち早く開発してユーザーの反応をもとに改善を重ねていくというやり方が主流です。
また、開発するシステムに自前ですべての機能を実装するのではなく、自社のコアバリューとなる機能以外は、他社サービスとのAPI連携などでユーザーに補ってもらい、効率よく開発することを大切にしています。
稲葉:それから、データドリブンなセールス・マーケティング体制を構築できていたことも、とくにコロナ禍での需要爆増にスムーズに対応できた理由です。
この事業では、MAツール(マーケティングオートメーションツール)を用いながら、デジタルマーケティングを中心に顧客獲得を行なうスタイルでセールスやマーケティングを展開してきました。このなかでは、LIFE STYLE株式会社というスタートアップの協力も得ています。すべてのプロセスがオンラインで完結できるようになっていたからこそ、急な需要の伸びにも対応しやすかったのです。
Q:プロジェクトで苦労したことがあれば、教えてください。
稲葉:海外展開を進める際、海外支社を中心に社内の合意形成を図ることに大きく苦労しました。とくにアメリカやヨーロッパの海外メンバーとは、事業の意義や戦略に関する議論を重ねました。日本のメンバー以上に彼らは納得できるかどうかを大切にしていたので、オンラインで何度もミーティングを重ねながら、私たちの実現したいことを説明していきました。
現在は事業のなかでやるべきことを絞りながら、この事業に関わる一人ひとりのメンバーのモチベーションやエンゲージメントをさらに引き出せるよう、丁寧にコミュニケーションをとることを意識して進めています。
曲澤:開発者としては、ユーザーが本当に求める機能の開発に対して難しさを感じる場面が多々ありました。ユーザーの意見を定量的に把握できる仕組みづくりが必要ですが、まだ構築できていないため、今後プロジェクトのなかで手がけていけたらと考えています。
稲葉:お客さまの課題を把握しきれていないという点は、リコーがいま、最も克服すべき課題です。たとえば、「RICOH THETA」でいえば、われわれは長年オフィス機器を手がけてきたために、急に需要が増加した不動産業界の悩みや課題を真の意味で把握しきれていないんです。
そうした課題を乗り越えるためにも、現在はスタートアップも含めたさまざまな分野のパートナーとの協力体制を築き、パートナーの知見を活かしながら事業を展開しています。
日本企業の「新しい勝ちパターン」を示し、経済に貢献したい
Q:現場のお二人はこの事業に携わる醍醐味をどのように感じていますか?
田中:このプロジェクトは、部署内で仕事が完結しておらず、さまざまな部署や外部パートナーの方と仕事ができる点に面白みを感じています。個人の仕事においても、ベンチャー企業のように若手を含めて一人ひとりの裁量が大きく、手を挙げればいろいろなことを経験できますから、非常に学びの多い環境だと思います。
また、この事業は、経済産業省と東京証券取引所が共同で選定する「デジタルトランスフォーメーション銘柄2022」(※)に選ばれています。社外からも先進的な取り組みとして評価されているプロジェクトに参画できること自体もモチベーションにつながっています。
(※)関連記事【リコー、「デジタルトランスフォーメーション銘柄(DX銘柄)2022」に選定】を読む
曲澤:私も田中さんと同じく、プロジェクトのなかで外部人材と働ける点は、とても勉強になっています。開発チームには、フリーランスのエンジニアなども参画しているのですが、彼らの開発に対する考え方などを聞いていると、自分の仕事への向き合い方をあらためて振り返る良い刺激となります。また、最新の技術や開発手法に触れられる点も、開発者としては大きな醍醐味だと感じています。
稲葉:上司の私からも見ても、二人は30代の若手でありながら第一線で活躍してくれています。田中さんは裁量を持って最先端のマーケティング手法で事業を進めていますし、曲澤さんは先述のシリコンバレーの経験をもとにプロダクト開発をリードしています。
大手企業と聞くと、一般的には年功序列の印象を抱く方も多いかもしれませんが、リコーは若手でも活躍できる会社です。私自身も39歳で、経営層から所長(事業部長職)に任命していただきました。
Q:最後に、事業の今後の展望を教えてください。
稲葉:私たちが最終的に目指しているのは、製造業や建設現場、インフラ、災害現場など、あらゆる場面で「RICOH THETA」と「RICOH360」が使われる世界観の実現です。これまで手がけてきたコピー機のように、ユーザー次第でいかようにも活用できる存在になりたいと考えています。そうした世界観を具現化できてこそ、お客さまの課題や社会課題の解決があり、リコーが掲げる「“はたらく”に歓びを」というビジョンの実現があるのだと思います。
そして、いずれはこの事業を通じて世界に通用するプラットフォーマーとなり、日本の「新しい勝ちパターン」をつくって経済に貢献していきたいと考えています。私たちのやろうとしていることはとても大変なことではありますが、同時に大きなやりがいのある挑戦でもあります。
現在は世界に水をあけられてしまっている日本ですが、「ハード×ソフト」のビジネスモデルで今一度、日本が立ち上がっていけることを示すことができれば、日本の景気が再び盛り上がるきっかけになる。そう信じて、この事業にこれからも取り組んでいきたいと思います。
※インタビュー内容や社員の所属は取材当時(2023年10月)のものです。