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リコーのあゆみ

創業~事務機分野進出

リコーは、理化学研究所の研究開発を工業化するために設立された「理化学興業株式会社」から感光紙事業を継承し、1936年に「理研感光紙株式会社」として創業しました。翌年にはカメラ事業にも進出。 1950 年代初頭にカメラの大量生産体制をわが国で初めて確立し、一般大衆へのカメラの普及を促進しました。1955年にはリコピー101を発売し、事務機分野にも進出しました。

事業に関するできごと
1936 - 1969
製品・技術に関するできごと
1936年2月6日

財団法人理化学研究所における発明の工業化を目的とする理化学興業株式会社から独立し、理研感光紙株式会社として設立。資本金35万円(~1938年)。市村清専務取締役就任(~1946年1月11日)

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1936年2月6日
事業に関するできごと

理化学興業株式会社から独立し、
理研感光紙株式会社として設立(~1938年)

市村清
市村清
発足当時の理化学研究所(東京・文京区)
発足当時の理化学研究所(東京・文京区)
理研感光紙(株)から理研光学工業(株)へと社名を改めた頃の本社(東京・銀座8丁目 1938年)
理研感光紙(株)から理研光学工業(株)へと社名を改めた頃の本社(東京・銀座8丁目 1938年)
感光紙製造の主力工場であり、時にはカメラ、双眼鏡もつくった理研光学 王子工場(1938年)
感光紙製造の主力工場であり、時にはカメラ、双眼鏡もつくった理研光学 王子工場(1938年)

リコーの創業者、市村清

わが国の科学振興を目的に創設された理化学研究所はその研究成果の事業化を図るために1927年「理化学興業株式会社」を設立、ここから多くの理研製品が発売されていきました。同社の感光紙事業を大きく発展させたのがリコーの創業者、市村清(1900~1968)です。彼は感光紙部門いっさいの事業を継承し、1936年2月6日にリコーのルーツである理研感光紙株式会社を設立。資本金35万円、従業員33名の出発でした。

創業の精神として市村が提唱した「三愛精神(人を愛し 国を愛し 勤めを愛す)」は、事業・仕事を通じて、自らとその家族、顧客、関係者、社会のすべてを豊かにすることを目指した考えで、今もリコーグループの全社員が経営や仕事を行ううえでの原点としているものです。

そしてリコーの誕生

1938年3月

商号を理研光学工業株式会社に変更(~1963年)

1946年1月12日

市村清社長就任(~1968年12月16日)

1950年3月

カメラの大衆化の先駆け、リコーフレックスを発売

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1950年3月
製品・技術に関するできごと

カメラの大衆化の先駆け、6×6 判二眼レフカメラ
「リコーフレックスⅢ型」を発売

リコーフレックスⅢ型(1950 年)
リコーフレックスⅢ型(1950 年)
日本の産業界では初のベルトコンベアシステムを採用(1953 年)これによるカメラの大量生産方式は後の大河内記念生産賞受賞にもつながりました
日本の産業界では初のベルトコンベアシステムを採用(1953 年)これによるカメラの大量生産方式は後の大河内記念生産賞受賞にもつながりました
カメラの大量生産方式を確立したことによって大河内記念生産賞を受賞(1957年)
カメラの大量生産方式を確立したことによって大河内記念生産賞を受賞(1957年)

カメラとしては初のベルトコンベア方式による大量生産を実現。当時のカメラ生産は手工業で、月産数百台からせいぜい1,000台程度が普通だった時に、本機は桁違いの10,000台が生産されました。これにより、当時贅沢品だったカメラを安価で提供することにも成功。カメラの大衆化・一大ブームを巻き起こし、国内のカメラ生産量の50%以上をこの一機種で独占したと言われています。

1953年4月

関係会社旭精密機器工業株式会社および愛光商事株式会社を吸収合併し、東京都大田区に大森工場を設立。カメラの製造を再開

1955年11月

ジアゾ複写機の1号機リコピー101を発売。事務機器分野へ進出

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1955年11月
製品・技術に関するできごと

ジアゾ複写機の1 号機「リコピー101」を発売。事務機器分野へ進出
本機は、2012 年度「機械遺産」第54 号に認定されました

現存する最古のリコピー101
現存する最古のリコピー101
続々と生産されるリコピー303・505(1957年)
続々と生産されるリコピー303・505(1957年)
当時の広告
当時の広告

1950年代後半、「複写する」という代わりに「リコピーする」という言葉が生まれ、複写の代名詞として広く普及しました。そのルーツは、1955年発売の「リコピー101」です。リコピー101とそれに続く一連の卓上型ジアゾ湿式複写機リコピーシリーズは、オフィスオートメーション(OA)のさきがけとして事務作業の合理化に革命をもたらしました。同機は、一般社団法人日本機械学会から2012年度「機械遺産」第54号に認定されました。

リコピー101:オフィスオートメーションのさきがけ

1955年発売の「リコピー101」が複写機遺産に認定

1957年1月

カメラの大量生産体制をわが国で初めて確立。大河内記念生産賞受賞

1960年7月

韓国に合弁会社シンドー交易を設立(1970年、株式会社シンドリコーに社名変更)

1960年8月

事務機用オフセット印刷機の1号機 リコーオフセットB4を発売

1961年5月

大阪・池田市に感光紙の専門工場、大阪工場を設立

1962年4月

沼津工場に感光紙工場を竣工。製紙から感光紙の一貫生産体制を確立

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1962年4月
事業に関するできごと

静岡県沼津市に製紙工場を建設
感光紙工場も併設し、世界初の原紙抄造から感光紙までの一貫生産体制を確立

現在の沼津事業所(南プラント)
現在の沼津事業所(南プラント)
EF 感光紙塗布ライン(沼津事業所)
EF 感光紙塗布ライン(沼津事業所)
完成した沼津工場の抄紙機(1960年3月)
完成した沼津工場の抄紙機(1960年3月)

1960年4月、静岡県沼津市に製紙工場を建設。1962年には感光紙工場も併設し、世界初の原紙抄造から感光紙までの一貫生産体制が確立されました。

1962年5月

本社事務機工場・総合研究所大森に本社事務機工場と総合研究所を竣工

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1962年5月
事業に関するできごと

大森に本社事務機工場と総合研究所を竣工

本社事務機工場と総合研究所が完成
本社事務機工場と総合研究所が完成
披露パーティーで挨拶する池田勇人首相と市村社長(1962年5月17日)
披露パーティーで挨拶する池田勇人首相と市村社長(1962年5月17日)

1962年5月、大森本社に事務機工場、総合研究所を建設し、その後マイクロ写真機器、オフセット印刷機、DPS機器など幅広い製品分野に進出していきました。

1962年11月

ハーフサイズの大ヒット作となったリコーオートハーフを発売

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1962年11月
製品・技術に関するできごと

ハーフサイズの大ヒット作となった
リコーオートハーフを発売

リコーオートハーフ(1963年)
リコーオートハーフ(1963年)
オートハーフの大きさ比較
オートハーフの大きさ比較
オートハーフのシリーズ機
オートハーフのシリーズ機
リコーオート35
リコーオート35

1960年には国産初の自動露出EEカメラ「リコーオート35」を完成したリコーは、1962年にはフィルムの巻き上げも自動化し、完全に押すだけで写るハーフサイズカメラ「リコーオートハーフ」を発売。ハンドバッグに入る、実用カメラとしては当時世界最小サイズの自動化カメラとして、女性ユーザーの拡大にも大きく寄与しました。

リコー歴史カメラ「オートハーフ」カメラ史に残る長寿命機「リコーオートハーフ」(1962)

1962年12月

アメリカに現地法人Ricoh Industries, U.S.A., Inc.を設立

1963年4月

社名を株式会社リコーに変更

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1963年4月
事業に関するできごと

社名を株式会社リコーに変更

理研光学工業(株)から(株)リコーへの社名変更広告(1963年)
理研光学工業(株)から(株)リコーへの社名変更広告(1963年)
1963年に生まれたコーポレートロゴ
1963年に生まれたコーポレートロゴ

事業の多角化が進み社名を1938年に「理研光学工業株式会社」と変更。1960年代に入り売上高100億円を超える企業となった理研は、1963年4月社名を現在の「株式会社リコー」に改め、さらに大きな飛躍を遂げることになります。

ロゴマークのあゆみ

1963年4月

スイスに現地法人Ricoh (Europe) S.A.を設立

1965年3月

台湾に合弁会社「台湾理光股 有限公司」を設立

1965年9月

静電複写機 電子リコピーBS-1を発売

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1965年9月
製品・技術に関するできごと

静電複写機「電子リコピーBS-1」を発売

電子リコピーBS-1(1965年)
電子リコピーBS-1(1965年)
南極観測船「ふじ」で活躍する電子リコピーBS-1(1966年)
南極観測船「ふじ」で活躍する電子リコピーBS-1(1966年)
当時の電子リコピーのキャンペーン広告(1965年)
当時の電子リコピーのキャンペーン広告(1965年)

1965年に発売された「電子リコピーBS-1」は、当時の業績不振からリコーを救った立役者となりました。デスクトップ機として世界で初めて原稿台固定方式を採用し、シートだけでなく本などの冊子もの、さらには織物、宝石、機械部品、食器などでもコピーがとれるBS-1は、「なんでもコピー」の時代をリードするとともに、本格的な世界進出への道を切り拓く原動力にもなりました。

1967年7月

東北リコー株式会社を宮城県柴田郡に設立

1967年10月

草加リコー株式会社を埼玉県八潮市に設立(1972年1月、リコー特機株式会社、1990年4月、リコーユニテクノ株式会社に社名変更)

1968年12月

創業者市村清社長逝去(16日)

1969年1月30日

舘林三喜男社長就任(~1976年10月22日)