大学院での専攻は、通信工学分野における電気・電子工学でした。修論のテーマは「光ファイバーの製造方法」。そんな私がリコーを選んだのは、リコーに入社した先輩の話に惹かれたから。「一つの分野だけでなく幅広くいろいろなことができるぞ」、と。実際、その通りでした。2004年の入社後、最初に手がけたのは光ディスクドライブの駆動制御です。当時リコーはCD‐R/RWのメディアとドライブのリーディング企業でした。ところが私の入社半年後にドライブ事業が撤退、数年後にはメディアの生産も終了してしまいました。しかし、光メモリに関する研究開発はその後も細々とですが続けられました。ここがリコーという会社の面白いところで、重要な技術の命脈を簡単に断つことはしません。どこかで誰かが研究を続けているのです。ここに、リコーの技術の幅広さと奥行きの源泉があるのだと思います。
その後、超解像メディア用の信号復調技術をはじめ、さまざまな画像処理技術の研究・開発などに携わりました。そうした中、米Silicon ValleyにあるRicoh Innovations Inc.(RII)で非常にユニークな光学システム設計手法が開発されました。2005年末頃のことです。「ジョイントデジタル光学設計(JOIPO)」。これは、従来別々に行われてきたレンズ光学系とデジタル画像処理系の設計を一体化して行う手法で、画像システム開発におけるレンズ光学設計の負荷を大幅に軽減し、超小型・軽量で低コストな製品作りを可能にするものです。
新しい技術が生まれたら、すかさず使ってみる。リコーのR&D部門にはそんな先取り精神の持ち主が多くいます。JOIPOを使えばこれまで難しいと思われていた新しい画像システムを作れるのではないか、そんな期待が私の中でも膨らみました。さっそくRIIの研究者を含めて応用検討を行い、さまざまな候補の中から、私は移動体向け画像システムの開発を受けもつことになりました。これがどのようなシステムなのかは製品化前のため、残念ながら詳しく述べることができませんが、とても画期的な機能を備えたものです。リコーがこの分野の画像システムを手がけるのは初めてのことでした。そのため、後々たいへんな苦心をするはめになろうとは当初思いもしませんでした(笑)。
2008年、最初のJOIPOベースでのプロトタイプが完成しました。自分たちでも驚くほど小型のシステムとなり、営業スタッフと共にさまざまなお客様にプレゼンテーションをして回りました。自らお客様のところへ足を運ぶことにしたのは、果たしてどのような反応があるのか気になったからです。概ね好評でしたが、そこから先へなかなか話が進みませんでした。その分野で実績がない会社の製品を採用するのは、誰でも躊躇しますよね。それでも小型化については高い評価が得られ、多少自信を持つことができました。中でも特に関心を持っていただいたお客様とその後も検討を重ねた結果、ついに採用に至りました。決め手は、当時お客様が一番困っていた画像乱れを私たちが技術的に解決したこと。画像処理技術に強いリコーの面目躍如と言ったところです。
今回、移動体向け画像システムの開発を受けもって初めて実感したことがあります。それは、研究段階では何か図抜けた特徴を持たせることが大事ですが、製品化においては全体性能をバランス良く高め、お客様の要求に応えなければならないということです。特に「お客様の要求を満たす」というのがいかにたいへんか、身をもって痛感させられました。と言うのも、これまでリコーが手がけたことのない分野の製品でしたから、要求を理解するにも時間がかかりました。お客様にとって“言わずもがな”の部分も多く、サンプルを持参すると「これは常識ですよ」という表情をされたこともありました。ですから、最初は反応が楽しみだったお客様訪問も、実用化が近づくにつれて怖々に(笑)。そうしたことを乗り越えての製品化ですから、感慨もひとしおです。
現在、製品は量産段階を迎えています。画像処理を含むファームウエア部分の量産設計リーダーも私が担当しました。生産区にとっても初の分野ですから、互いに技術とノウハウを出し合いながら量産化を目指してきました。市場に出ると、文字通り掛け値なしのフェアな視点で評価が下されることになります。それはそのままリコーへの評価につながるのですから、今から身の引き締まる思いがしています。R&Dの技術者は、市場から離れたところでひたすら計算や実験をしているものと思われがちですが、リコーの研究スタイルは違います。「お客様起点」というポリシーの下、お客様の要望を聞くだけでなく、時には一緒になって開発することも少なくありません。
製品化に携わる一方で、私は開発プラットフォームの構築を進めてきました。画像システムは大別、光学系と画像処理系の2系統で構成されています。この2系統のマッチングこそが、画像システムの性能を決める鍵となっています。いくら光学設計で収差を抑え、解像力を高めたとしても、画像処理系が貧弱では意味がありません。逆も同様です。かと言って、両者の性能をただひたすら高めればいいというものでもありません。製品化にはバランスが必要という話をしましたが、お客様の要求や製品によって求められる画像品質のポイントは異なっています。それぞれの要求仕様にもっとも適した画像品質をすばやく導き出すために開発したのが、このプラットフォームです。これによって設計者は、仕様ごとに必要な部品、インターフェイス、さらには設計ツールなどを容易に選び出すことができるようになりました。プラットフォームの導入によって、画像システム開発の生産性は大きく向上しました。技術革新著しい分野なので、たとえばJOIPOのような新技術が出てくれば追加するなど、今後もこのプラットフォームは絶えず進化させ続けていきます。
プラットフォームが構築されたことで、新たな価値提供のチャンスも増えてきました。リコーでは今、光学系技術を中心に、異なる分野の技術を組み合わせることで新たな価値を創り出そうという動きが加速しています。例えば、特殊なフィルタを搭載した光学ユニットと新たな画像処理技術を組み合わせ、それをワンチップLSIで提供するといったことが考えられます。そのために必要な技術、すなわち光学、電気・電子、通信、機械、ソフトウェア、LSI、さらには化学など、さまざまな技術とそれに携わる人が、リコーには揃っています。これだけの技術要素・人的資産を有している企業は世界的にも希有な存在だと思います。
私が今もっとも関心を抱いているのは、マシンビジョン(MV)です。MVは光学、メカトロ、コンピュータ技術などを統合した工学分野で、機械のインテリジェント化をテーマに、現在世界中で取り組みが進んでいます。まさに、豊富な技術資産を持つリコーにこそふさわしいステージだと考えています。そのためにも画像システム分野でもっともっと多くの実績を上げていきたいと思います。やりたい人が手を挙げれば任せてくれて、しかも頼りがいのある“その道の強者”が社内のそこかしこにいます。チャレンジしない理由が見つかりません(笑)。
グループ技術開発本部
デバイスモジュール技術開発センター
所長 大谷渉
「技術による事業創造」というのは簡単なことではありません。小さなハードル、大きなハードルを乗り越えて・・それでも目論見通りに進みません。苦しいけれど楽しい、苦しむからこそ楽しみがある、という感覚が大事です。笠原さんはそんな技術開発の醍醐味を存分に味わい、楽しんでいる第一人者です。
私たちは開発したものの価値を確認するために積極的に市場に出ていきます。市場は笠原さんも言うように感動も恐怖ももたらしますが、そんな経験が技術者を鍛えてくれます。
技術開発とは未踏領域への冒険であり、挑戦なのです。あなたも私たちと冒険の旅へ出かけませんか?
笠原亮介(かさはら・りょうすけ)
工学研究科 電気・通信工学 電気・電子工学専攻。2004年入社。光学ドライブ用駆動制御技術の研究・開発、システムシュミレーター開発、超解像メディア用復調アルゴリズム開発などを経て、2008年、移動体向け小型・高性能画像システムの実用化研究に着手。同システムの製品化を成し遂げ、現在その画像処理部の量産設計も担当。また、光学系と画像処理系の最適なインターフェイスを実現する独自の開発プラットフォームを構築するなど、幅広く活躍している。趣味は料理と海釣り。
(2010年12月)
※本ページに掲載されている情報は、2010年12月現在のものです。