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リコーのあゆみ

OAを提唱

1974年に世界で初めて事務用高速ファクシミリ「リファクス600S」を発売。1977年には業界で初めて「OA(オフィス・オートメーション)」を提唱しました。1980年代には、オフィスコンピューターやワープロ、光ファイリングシステム、レーザープリンターなどを順次提供し、オフィスの生産性向上を支援しました。

事業に関するできごと
1970 - 1984
製品・技術に関するできごと
1970年1月

ニューヨーク事務所とRicoh Industries, U.S.A., Inc.を統合して100%出資の現地法人Ricoh of America, Inc.をニュージャージー州に設立(〜1984年)

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1970年1月
事業に関するできごと

100%出資の現地法人Ricoh of America, Inc.を
ニュージャージー州に設立

Ricoh of America, Inc.を設立(1970年1月)
Ricoh of America, Inc.を設立(1970年1月)

世界的なヒット商品の誕生とともに世界各国の大手メーカーとの技術提携も活発に行われ、台湾、韓国、アメリカ、オランダに現地法人を次々と設立、海外へとリコーブランドを広げていきました。1970年にはニューヨーク事務所とRicoh Industries, U.S.A., Inc.を統合し北米の拠点となるRicoh of America, Inc.をいち早く設立しています。

1970年3月

日本万国博に「よりよき人類の眼」をテーマにリコー館を出展

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1970年3月
事業に関するできごと

日本万国博に「よりよき人類の眼」をテーマにリコー館を出展

連日の賑わいを見せたリコー館
連日の賑わいを見せたリコー館
大阪名物となったネオン塔(豊中市)
大阪名物となったネオン塔(豊中市)
南アフリカ・リベリア共和国の切手のモデルにもなったリコー館
南アフリカ・リベリア共和国の切手のモデルにもなったリコー館
フロートビジョン「天の眼」
フロートビジョン「天の眼」

アジアで初となる「日本万国博覧会」は1970年3月15日から183日間にわたり、大阪で開催されました。“人類の進歩と調和”をテーマとした祭典にリコーは、技術の総力を傾けたリコー館を出展。奇抜なアイデアとユニークさは多くの人の心をとらえ、期間中700万人以上もの来場者を集め好評を博しました。

1971年4月

オフィスコンピューターの1号機「リコム8」を発売

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1971年4月
製品・技術に関するできごと

オフィスコンピューターの1号機「リコム 8」を発売

リコム 8(1971年)
リコム 8(1971年)

1970年代に急成長したオフィスコンピューター分野においてリコーは、ブームの先陣を切る商品開発を行いました。1971年にTDK社と共同開発された「リコム 8」はリコーのオフィスコンピューター1号機です。 2~4kバイトの磁気コアメモリーと、64ビットの演算処理装置は、当時では抜群の記憶容量と高速性を誇り、また、設置面積を少なくしたタワー型のデザインという点でも注目されました。

1971年5月

事務機、情報機器の主力工場、厚木事業所を設立

1971年11月

TQCを導入

1971年11月

オランダに現地法人Ricoh Nederland B.V.を設立(1986年7月、Ricoh Europe B.V. に社名変更)

1972年3月

乾式PPC* リコーPPC900を発売。* PPC:Plain Paper Copier(普通紙複写機)

1973年1月

アメリカに生産関連会社Ricoh Electronics, Inc.を設立

1973年4月

事務用高速ファクシミリの1号機リファクス600Sが衛星回線を利用して、アメリカとの国際間電送に成功

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1973年4月
製品・技術に関するできごと

事務用高速ファクシミリの1号機「リファクス600S」が
アメリカとの国際間電送に成功
本機は2014年度「未来技術遺産」第00170号に認定されました

リファクス600S(1974年)
リファクス600S(1974年)
夢の60秒高速ファクシミリ「リファクス600S」の発表会(1973年4月経団連会館にて佐藤栄作首相と舘林社長)
夢の60秒高速ファクシミリ「リファクス600S」の発表会(1973年4月経団連会館にて佐藤栄作首相と舘林社長)
アメリカに空輸されるリファクス600S(1975年)
アメリカに空輸されるリファクス600S(1975年)

それまでA4原稿を1枚送信するのに3~6分かかっていた電送時間を一気に1分に短縮し、さらに国際間電送も可能にした世界初の事務用高速ファクシミリ、それがリコーの「リファクス600S」です。1973年4月の製品発表会では、世界で初めて東京とニューヨーク間で衛星回線経由によるファクスの送受信が行われ、「技術のリコー」の名を世界にとどろかせました。

リファクス600S:公衆回線網に接続する世界初の一般事務用高速デジタルファクシミリ

1973年4月

株式会社迫東北リコー製作所を設立(1977年9月、迫リコー株式会社に社名変更)

1973年5月

アメリカにファクシミリ販売のための現地法人Rapifax Corporationを設立(1978年3月、Rapicom, Inc. に社名変更)

1973年7月

リコー光学株式会社を岩手県花巻市に設立

1975年2月

PPCのベストセラー機 ニューリコピーDT1200を発売

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1975年2月
製品・技術に関するできごと

PPCのベストセラー機
「ニューリコピーDT1200」を発売

高品質で高い評価を得たニューリコピーDTシリーズ(1975年)
高品質で高い評価を得たニューリコピーDTシリーズ(1975年)
厚木事業所で開かれたニューリコピーDT1200の増産決起大会(1975年10月)
厚木事業所で開かれたニューリコピーDT1200の増産決起大会(1975年10月)

「ニューリコピーDT1200」は、年々ハイレベルになる普通紙複写機(PPC)への要望に応えるべく開発されたリコーの自信作でした。普及機としては初めて2種類の用紙をワンタッチで切り替えることができ、また、「液体現像方式」により、最後の一滴までトナーを使い切ることができました。また、このマシンは、100万枚の連続コピーテストでも画像が薄くなることがなく安定したコピーを実現し、メンテナンス作業を軽減。特に広大な面積のアメリカで好評を博しました。世界の湿式複写機の流れを変えた歴史的商品として、1991年アメリカの「Copier Hall of Fame」(コピーの殿堂入り)を受賞しました。

1975年11月

事務機業界初のデミング賞実施賞を受賞

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1975年11月
事業に関するできごと

事務機業界初のデミング賞実施賞を受賞

デミングメダル
デミングメダル
受賞式でデミング博士と握手を交わす舘林社長(経団連会館1975年11月17日)
受賞式でデミング博士と握手を交わす舘林社長(経団連会館1975年11月17日)

「不況に強い企業づくり」を合い言葉に、1971年11月、リコーは品質管理の最高賞「デミング賞」受賞を目標として掲げ、以後3年10ヵ月の間、全社を挙げてさまざまなTQC(統合的品質管理)活動を展開し、経営体質の改善に努めました。その結果、1975年11月17日、事務機メーカーでは初の栄誉となる「デミング賞」実施賞を受賞。同時に、新たな時代に向けて企業体質改善のオーバーホールを果たしたのです。

1976年

環境推進室設立

1976年7月

モントリオールオリンピックでリファクス600Sが活躍

1976年10月

  • 舘林三喜男社長逝去(22日)
  • 三善信一会長就任(26日)
  • 大植武士社長就任(26日)

1976年12月

リコークレジット株式会社を設立(1984年4月、リコーリース株式会社に社名変更)

1977年3月

東京・青山にリコービルを竣工。本社事務所として業務開始

1977年4月

業界で初めてOA(オフィス・オートメーション)を提唱

1978年7月

西ドイツに現地法人Ricoh Deutschland GmbHを設立。沼津事業所研究センターを竣工

1978年12月

香港に現地法人Ricoh Business Machines, Ltd. を設立(1997年7月、Ricoh Hong Kong Ltd.に社名変更)

1979年5月

アメリカ・カリフォルニア州に研究・開発のための現地法人Ricoh Systems, Inc.を設立(1987年4月、Ricoh Corporationに統合)

1979年7月

沼津事業所研究センターに材料技術研究所(現化成品技術研究所)を設立

1980年7月

  • 厚木市に戸田技術センターを設立
  • イギリスに現地法人Ricoh UK Ltd.を設立

1981年1月

ヨーロッパで乾式PPCの自社ブランド販売開始

1981年3月

厚木市にサービスパーツセンターを新設

1981年4月

  • 北米で乾式PPCの自社ブランド販売開始
  • 大阪工場敷地内に、リコー電子技術開発センターを竣工

1982年5月

感光紙の専門工場、福井工場を設立(1992年1月に福井事業所に名称変更)

1982年6月

拡大・縮小機能つきA3判PPC リコピーFT4060を発売

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1982年6月
製品・技術に関するできごと

拡大・縮小機能付A3判PPC
「リコピーFT4060」を発売

リコピーFT 4060(左)/リコピーFT 4030
リコピーFT 4060(左)/リコピーFT 4030
リコピーFT4000シリーズが「ブルガリア国際見本市」で金賞を受賞(1983年9月)
リコピーFT4000シリーズが「ブルガリア国際見本市」で金賞を受賞(1983年9月)

拡大・縮小機能付のA3判PPC 「リコピーFT4060」は、小型機でありながら高い画質と耐久性を誇り、発売からわずか10ヵ月で10万台を売り上げた大ヒットマシンでした。新開発の電子写真作像システムを搭載し、トナーなどのサプライ、メカニズム、さまざまな技術の集大成により、小型・高品質・高耐久性を実現。豊富な用紙に対応し、オフィスのコピー作業の効率化に大きく貢献しました。

1982年7月

秦野工場が操業を開始(1988年10月、秦野事業所に名称変更)

1983年4月1日

  • 大植武士会長就任(1日)
  • 浜田広社長就任(1日)

1983年12月

イギリスに現地法人Ricoh UK Products Ltd.を設立

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1983年12月
事業に関するできごと

イギリスに現地法人
Ricoh UK Products Ltd.を設立

欧州で初めてのリコー生産会社Ricoh UK Products Ltd.(RPL)
欧州で初めてのリコー生産会社Ricoh UK Products Ltd.(RPL)
RPLの設立を発表したラモント通産大臣と浜田社長(1983年10月)
RPLの設立を発表したラモント通産大臣と浜田社長(1983年10月)

海外事業もこの時期にめざましい動きをみせます。1978年度の輸出実績は全体の34.1%を占め、現地法人も世界各地に次々と展開していきました。1979年に、アメリカ・カリフォルニア州にOA関連機器の生産会社Ricoh Electronics Inc.を設立。続いて、1983年12月には、イギリス・テルフォードでOA関連製品の生産拠点としてリコーUKプロダクツがその活動を開始しています。先行していた北米に続き、欧州においても次代への飛躍のための基盤づくりが着々と進行しました。

1984年2月

リファクス 1300HSが日経年間優秀製品賞を受賞

1984年3月31日

大植武士会長逝去

1984年4月

  • Ricoh of America, Inc.とRapicom, Inc.を統合、現地法人Ricoh Corporationを設立
  • 全国のサービス専門会社11社を統合し、リコーサービス株式会社東京、大阪の2社を設立(1988年4月、リコーテクノネット株式会社にそれぞれ社名変更)
  • 厚木事業所内に生産技術研究所を設立。 大森事業所内に画像技術研究所を設立(1995年3月、画像技術開発センターに、1999年4月、画像技術開発本部に名称変更)
  • リコー応用電子研究所を設立