1974年に世界で初めて事務用高速ファクシミリ「リファクス600S」を発売。1977年には業界で初めて「OA(オフィス・オートメーション)」を提唱しました。1980年代には、オフィスコンピューターやワープロ、光ファイリングシステム、レーザープリンターなどを順次提供し、オフィスの生産性向上を支援しました。
ニューヨーク事務所とRicoh Industries, U.S.A., Inc.を統合して100%出資の現地法人Ricoh of America, Inc.をニュージャージー州に設立(〜1984年)
さらに詳しく日本万国博に「よりよき人類の眼」をテーマにリコー館を出展
さらに詳しくオフィスコンピューターの1号機「リコム8」を発売
さらに詳しく事務機、情報機器の主力工場、厚木事業所を設立
TQCを導入
オランダに現地法人Ricoh Nederland B.V.を設立(1986年7月、Ricoh Europe B.V. に社名変更)
乾式PPC* リコーPPC900を発売。* PPC:Plain Paper Copier(普通紙複写機)
アメリカに生産関連会社Ricoh Electronics, Inc.を設立
事務用高速ファクシミリの1号機リファクス600Sが衛星回線を利用して、アメリカとの国際間電送に成功
さらに詳しくそれまでA4原稿を1枚送信するのに3~6分かかっていた電送時間を一気に1分に短縮し、さらに国際間電送も可能にした世界初の事務用高速ファクシミリ、それがリコーの「リファクス600S」です。1973年4月の製品発表会では、世界で初めて東京とニューヨーク間で衛星回線経由によるファクスの送受信が行われ、「技術のリコー」の名を世界にとどろかせました。
株式会社迫東北リコー製作所を設立(1977年9月、迫リコー株式会社に社名変更)
アメリカにファクシミリ販売のための現地法人Rapifax Corporationを設立(1978年3月、Rapicom, Inc. に社名変更)
リコー光学株式会社を岩手県花巻市に設立
PPCのベストセラー機 ニューリコピーDT1200を発売
さらに詳しく「ニューリコピーDT1200」は、年々ハイレベルになる普通紙複写機(PPC)への要望に応えるべく開発されたリコーの自信作でした。普及機としては初めて2種類の用紙をワンタッチで切り替えることができ、また、「液体現像方式」により、最後の一滴までトナーを使い切ることができました。また、このマシンは、100万枚の連続コピーテストでも画像が薄くなることがなく安定したコピーを実現し、メンテナンス作業を軽減。特に広大な面積のアメリカで好評を博しました。世界の湿式複写機の流れを変えた歴史的商品として、1991年アメリカの「Copier Hall of Fame」(コピーの殿堂入り)を受賞しました。
事務機業界初のデミング賞実施賞を受賞
さらに詳しく環境推進室設立
モントリオールオリンピックでリファクス600Sが活躍
リコークレジット株式会社を設立(1984年4月、リコーリース株式会社に社名変更)
東京・青山にリコービルを竣工。本社事務所として業務開始
業界で初めてOA(オフィス・オートメーション)を提唱
西ドイツに現地法人Ricoh Deutschland GmbHを設立。沼津事業所研究センターを竣工
香港に現地法人Ricoh Business Machines, Ltd. を設立(1997年7月、Ricoh Hong Kong Ltd.に社名変更)
アメリカ・カリフォルニア州に研究・開発のための現地法人Ricoh Systems, Inc.を設立(1987年4月、Ricoh Corporationに統合)
沼津事業所研究センターに材料技術研究所(現化成品技術研究所)を設立
ヨーロッパで乾式PPCの自社ブランド販売開始
厚木市にサービスパーツセンターを新設
感光紙の専門工場、福井工場を設立(1992年1月に福井事業所に名称変更)
拡大・縮小機能つきA3判PPC リコピーFT4060を発売
さらに詳しく秦野工場が操業を開始(1988年10月、秦野事業所に名称変更)
イギリスに現地法人Ricoh UK Products Ltd.を設立
さらに詳しくリファクス 1300HSが日経年間優秀製品賞を受賞
大植武士会長逝去