柴田勝家×EDUCATION
対談2/3
テクノロジーが「誰もが教え、どこでも学べる」社会を生みだす:柴田勝家
October 29, 2015
新進気鋭のSF作家にして現役大学院生の柴田勝家さんと、リコーの研究者・山内拓也による、未来の技術や教育についての対談(2/3)。前記事に続き、テクノロジーと人間や社会の関わり方をさらに考察し、技術と“倫理観”の関係、さらに未来の教育にまで、話題は広がります。
技術が便利になっても倫理的に「選ばない」理由があるはず
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山内:
今回のストーリーを読ませていただいて、未来を予測してくれるペンが欲しいと思いました。
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柴田:
純粋に、自分自身が欲しいなと思って書きました(笑)。ワシは、技術を使う側の人間が「何を選択して使っていくのか」といった、テクノロジーと人間の関わり方を小説で表現していきたいと思っているんですね。
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山内:
物語の中で一番のキーとなるのが、液相コンピューターですよね。水のように身近に流れていて、いつでもそこに情報や人が“存在”するという点で、液相コンピューターは、現代で言うソーシャルストリームみたいなものかなと想像したのですが……。
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柴田:
そのとおりです。現代の社会を民俗学では「選択縁」と呼んでいて、昔の「地縁」や「血縁」、さらに1970~80年代の会社・学校単位でつながる「社縁」から変化してきました。たとえば、移動中にメッセージアプリを使っている人は、移動しながら“別の社会”にいるとも考えられるわけです。ソーシャルストリームによって、社会と人間のつながりを「いつでも好きに選択できる」時代はさらに進むと思います。
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山内:
「テクノロジーと人間の関わり方」という点でいえば、ストーリーの中で、大人は液相コンピューターを補助記憶剤として飲んでもいいけど、子どもには許されていませんよね。そういった“極限まで合理化できる部分”と“合理化できない部分”を考察することは、これからの技術において重要な要素になるなと感じました。
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柴田:
技術がすごく発展して、どんなに便利な世の中になっても、人間があえて「やらない」ことってたくさんあると思います。たとえば、学校の授業でも、黒板に書かれた内容をスマホで撮れば楽です。でも、そこは“倫理観”みたいなもので抑えられている。そういった、人間が「選択しない」ことには、必ず理由があると思うんですね。
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山内:
たしかに、技術を研究するうえでも「これは倫理的に駄目」と即断することも多いですね。でも実際は、そういったタブーの原因などを突き詰めることにこそ、技術で人間を豊かにする可能性が秘められていて、技術的なブレイクスルーにつながるのかもしれないとも思っています。
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柴田:
人間は、その“場”にそぐわないものに対して「イヤだ」と感じるみたいです。そこで、これは山内さんの研究分野とも関係あるのですが、ワシは人間の目の動きで“場の空気”がわかるんじゃないかと考えていまして……。もしかしたら、イヤな空気を察知する機械も現れるかもしれないな、と。「このままだと、場の空気が悪くなるな」と察知して予防してくれる、空気清浄機みたいなものができるといいですね(笑)
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山内:
それは、常に身近に置いておきたいですね(笑)。「何かを感じ取る」という感覚的な部分は技術的に進んでいないところも多いので、実現していきたいです。
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柴田:
夢の技術の1つですね(笑)
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山内:
そういった人間の感性や文化の背景などを追究していくと、多くの人たちに受け入れられるような技術が創れる可能性がありそうです。
左:株式会社リコー ICT研究所 システム研究センター イメージ&インテリジェンス開発室 イノベーティブイメージング開発グループ 山内拓也、右:作家 柴田勝家
「いつ、どこで、誰に、何を学ぶか」を選べる“教育”への変化
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山内:
2036年のテクノロジーについて、柴田さんはどんなふうに変わっていると想像されますか?
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柴田:
技術が“ローカル”になるかもしれないと思っています。今すでに、インターネットなどの世界的なネットワークが完成していますが、どこかで一旦飽和して、またローカルに戻るのではないかと。たとえば、2000年代の初めであれば、専門的な情報を得るために海外のフォーラムに行く人もいましたよね。
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山内:
はい。でも今なら、日本にいても様々な情報が手に入ります。
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柴田:
そうです。メッセージアプリでタイムラインを見ているだけで、海外に行かなくても事足りてしまうこともあります。でも、このまま情報のローカル化が進むと、海外で戦争や飢饉が起こっていても、日本ではすべての情報が得られなくて「平和だ」と勘違いする社会になる可能性もある。
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山内:
たしかに、日本の快適な社会環境で過ごしていると、平和的な思考に固まってしまう危険はありますね。
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柴田:
もちろんローカル化も大切ですが、たとえばリアルタイムな世界の動向や情報が、自然かつダイレクトに自分の中に入ってくるようなグローバルなテクノロジーも生まれていくといいなと思います。
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山内:
そうなると、今回のテーマでもある“教育”も大きく変わっていそうですね。
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柴田:
はい。教育というのは、「こんな世界があるんだよ」という情報を教える、貴重な場だと思います。ですから、今回のストーリーのように、自分自身で学びたいものを選択できて、もっと多くの人がいろいろなことを教えていける社会へと変わっていってほしいですね。
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山内:
私の場合、大学に入って写真を始めてから社会人と交流するようになって、自分の世界や物事の見方がとても大きく広がりました。そんなふうに子どもと大人が触れ合える機会が増えると、教育に対する子どもたち自身の考え方も変わってくると思います。
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柴田:
そのとおりですね。ちなみに、ストーリーに出てくる『水盤』は、鏡のイメージなんです。鏡に映る子どもを通じて、自分を見つめ直すという意味合いを持っています。大人も、子どもと接することで成長できればいいですよね。
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山内:
2036年になって会社に行かずに働ける環境になると、家庭や地域社会での大人と子どもとの関係が密接になって、小さなコミュニティ内で教育が成り立っていくのかもしれません。大人の誰もが先生の役割になれるし、子ども同士で教え合ったり学び合ったりもできる。そんな未来がきたらいいなと思います。
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柴田:
誰もが教えることができて、どこでも学べて、どこからでも情報を引き出せる――そういう社会を、技術の力でぜひ実現してください。