円城塔×WORK PLACE
プロローグ
グレート・ネットのあとに:円城塔
February 10, 2015
作家の円城塔さんが想像する、2036年の「ワークプレイス」を全7回(短編小説4本+対談記事3本)にわたって紹介。短編小説の【プロローグ】となる本記事。情報化社会の夢が覚めた未来に待っていたのは、「狂乱」か、それとも「楽園」か。
情報化
インターネットの時代は苦しかったという記憶がある。それが情報化の夢を語る時代であったからかも知れない。楽園への一本道という夢を。
この頃、ギャッツビーのことを考えるようになった。いや、ジャズ・エイジを。正確には狂乱の1920年代を。
不況からの回復と、大量生産の実現。「それまでにも存在していたが、一般には届いていなかった商品」の流通。自動車、映画、ラジオ。電気・水道、道路網といったインフラの整備が進み、摩天楼が伸び、大都市化が加速した。
人間、文字を読めたからといって、そこに何が書いてあるかを理解できるとは限らない。たとえ言葉を知っていたって。
どうにも、『グレート・ギャッツビー』という小説がわからずにいた。ただの振られ男ではないかということだ。しかも手の込んだストーカーじみている。それだけの話であるはずがないと考えていた。
それだけの話だったのだ。そういう言い方をするならば。
物質化
インターネットの時代が終わったのかというとそんなことはない。ようやく馴染んで、気にならなくなってきた。自動車が当たり前のものになったみたいに。
渋滞に巻き込まれたとしたって、車はそういうものだと知っているし、汎用コンピュータなるものが、ドライヤーつきフォークつき鉛筆つきペトリ皿みたいな万能の道具だってこともわかってきた。インターネットがプライバシーの概念を変化させることにも、見なくていいものを見せてくれる装置であることにも、みんなが大体同じことしか──それもたいてい、ろくでもないことしか──考えていないと教えてくれることにも慣れてしまった。
戻ればいいんじゃないか、と言う人もいる。火を捨てて、木に登り直せばいいのだと彼らは言うのだ。そうすれば──ギャッツビーの想いは叶っていたとでも言うのだろうか。
この頃ようやく、『グレート・ギャッツビー』に何が書かれているのか少しわかってきた気がしている。
ジャズ・エイジが何で終焉を迎えたかを書いておく方が公平だろう。世界恐慌である。