ニュースリリース
転写因子誘導されたヒトiPSC由来神経細胞のスパイン形成
東京大学大学院農学生命科学研究科の關野祐子特任教授と株式会社リコー リコーフューチャーズBU バイオメディカル事業センター バイオメディカル研究開発室の林和花リーダーらの研究グループは共同で、転写因子(注1)で分化誘導されたヒトiPSC由来神経細胞(注2)が機能的に成熟し、樹状突起スパインの形成とシナプス可塑性を担うメカニズムの発現を迅速に達成することを明らかにしました。
転写因子を使ってヒトiPS細胞(注3)を、脳の神経細胞に迅速分化誘導したところ、2~3ヶ月という短い期間で神経細胞の樹状突起上に棘構造(樹状突起スパイン)(注4)が無数に形成されました。スパインが形成されるまでの遺伝子発現パターン変化は、ヒトの脳発達データと相関し、脳型ドレブリン(注5)へのアイソフォーム変換(注6)などが起こることを示しました。また、スパインに集積しているドレブリンがグルタミン酸刺激により樹状突起内に移動する現象(ドレブリンエクソダス)を、世界で初めてヒトiPSC由来神経細胞で観察しました。この現象は、げっ歯類の初代培養神経細胞で明らかにされたスパインの形態的可塑性(注7)メカニズムです。ヒト神経細胞でドレブリンエクソダスが観察されたことの意義は非常に大きく、ヒトの神経シナプスの成熟過程の研究や、記憶学習メカニズムの研究が促進することが期待されます。また、転写因子誘導されたヒトiPSC由来神経細胞でスパイン形成までの期間が3分の1に短縮されたことで、大幅な実験コスト削減が実現します。
今後、ヒト中枢神経系疾患の病態解明や、神経細胞作用薬の開発、また、さらなる応用として、認知機能障害などを含む医薬品の副作用を予測する試験や、化学物質の毒性試験などへの展開を通じて、創薬やiPS細胞産業の活性化に貢献することが期待されます。
人間の様々な体細胞になる能力を持つiPS細胞は、入手困難なヒト細胞の研究を可能にし、病態解明や新薬開発などに活用されています。ヒトiPSC由来神経細胞は、認知症や自閉症といった中枢神経系疾患などの研究に役立つことが期待され、特に神経ネットワークの情報伝達を司るシナプスの構造と機能を再現することは重要であると考えられます。しかし、これまでヒトiPSC由来神経細胞はシナプス形成に時間がかかり、特に興奮性シナプス後部の棘構造(スパイン)形成が困難とされていました。一方、近年様々な種類の神経細胞を効率よく作製する分化誘導技術の開発も進められて来ました。本研究では、転写因子を使って分化誘導されたヒトiPSC由来神経細胞の、成熟過程における経時的な特徴を明らかにし、スパイン形成を評価しました。
エリクサジェン・サイエンティフィック社の分化誘導技術で作製したヒトiPSC由来神経細胞を最大3ヶ月間培養し、経時的にデータを収集しました。トランスクリプトーム解析の結果、これらの細胞は培養10日で神経細胞に分化し、その後2~3ヶ月の成熟の過程を経てヒトの大脳皮質神経細胞の遺伝子発現パターンに近づくことが明らかになりました(図1)。スパインが形成されるまでの発現パターンの変化は、ヒトの脳発達データ(BrainSpan)と相関し(図2.A)、成熟に伴うシナプス関連因子の発現上昇と脳型ドレブリンアイソフォームへの変換(図2.B)などが確認されました。また、高密度多点電極アレイ(HD-MEA)を用いた電気生理学的評価を行い、発火頻度の上昇とシナプス活動を介した神経伝達ネットワークの形成を確認しました(図3)。
図1:転写因子誘導されたヒトiPSC由来神経細胞の成熟過程
ヒトiPS細胞を転写因子で脳の神経細胞に迅速分化誘導して、遺伝子発現パターンや神経特異的タンパク質局在の経時的変化の解析を行い、成熟過程の特徴を明らかにした。
図2:ヒトiPSC由来神経細胞の成熟過程における脳発達の特徴の再現
A:脳発達における遺伝子発現データとの相関性を示した結果、ヒトiPSC由来神経細胞の発現パターン変化はヒト胎児脳(左)から生後・成人脳(右)への移行を再現している。
B:ドレブリン全体は神経発生初期に高く発現し、以降減少するが(左)、脳型ドレブリンAアイソフォームの発現は成熟期に上昇する(右)。
図3:神経ネットワーク電気活動のHD-MEA評価
A:無数の微小電極を含むセンサー上にヒトiPSC由来神経細胞を培養した結果、成熟と共に神経ネットワークの細胞結合性と同調性を示す高頻度発火バーストを検出した(左)。バーストの持続時間の延長はさらにネットワークレベルでの成熟を示している(右)。
B:軸索の活動電位を追跡すると、信号伝播距離と回路の複雑性が、培養日数とともに増加することを観察した(左右比較)。
同時に、共焦点定量イメージサイトメーター(CQ1)を用いた免疫細胞染色で、細胞形態および神経特異的タンパク質発現の評価を行いました。その結果、神経細胞の樹状突起の成長に伴い、ドレブリンの局在変化が起こり、2~3ヶ月という短い期間で樹状突起上にスパインが無数に形成されました(図4)。
図4:免疫細胞染色によるヒトiPSC由来神経細胞の成熟とスパイン形成の観察
樹状突起マーカーのMAP2(赤)とスパイン形成マーカーのドレブリン(緑)の免疫細胞染色画像。
上:神経発生初期には突起が短く、ドレブリンEアイソフォームが細胞周辺の成長円錐に発現する。
下:培養2~3か月後に脳型ドレブリンAアイソフォームが成長した樹状突起上のスパインに集結する。(スケールバー:100μm)
更に、スパインの機能性を示すために、グルタミン酸刺激への応答性を評価しました。スパインに集積しているドレブリンがグルタミン酸刺激により樹状突起内に移動する現象(ドレブリンエクソダス)を、世界で初めてヒトiPSC由来神経細胞で観察しました(図5)。NMDA型グルタミン酸受容体の活動を介するドレブリンエクソダスは、げっ歯類の初代培養神経細胞により明らかにされてきた樹状突起スパインの形態的可塑性メカニズムです。この現象の再現に成功したことにより、シナプスが分子機能レベルで成熟していることを示しました。
図5:ヒトiPSC由来神経細胞のドレブリンエクソダスの観察による機能的評価
左:グルタミン酸刺激をしていない培養73日目の神経細胞の樹状突起スパインの様子。
右:グルタミン酸で10分刺激した結果、スパインに集積していたドレブリン(緑)が樹状突起内に移動する。(スケールバー:白=100μm、黄=10μm)
ヒト神経細胞でドレブリンエクソダスが観察されたことの意義は非常に大きく、ヒトの神経シナプスの成熟過程の研究や、記憶学習メカニズムの研究が促進することが期待されます。また、他の分化誘導法ではスパイン形成が非常に遅いか少ないために、本研究のようにスパイン形成までの時間経過を免疫細胞染色により解析できた研究はありませんでした。転写因子誘導されたヒトiPSC由来神経細胞でスパイン形成までの期間が3分の1に短縮されたことで、大幅な実験コスト削減が実現します。
今後、中枢神経系疾患の病態解明や、神経細胞作用薬の開発、また、さらなる応用として、認知機能障害などを含む医薬品の副作用を予測する試験や、化学物質の毒性試験などへの展開を通じて、創薬やiPS細胞産業の活性化に貢献することが期待されます。
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